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2009(Fri) 03/20
海外記4-1 ハワイ島と第442連隊戦闘団 時間の神殿(78)
行ってきました新婚旅行。
というわけで
これからラブラブな「おのろけLOVE記事」を書きたいと思います。
コホン…
今回はハワイだったわけですが良かったですよ。いろんな意味で。日本語は通じるし、日本語を向こうの人が話してくれるし、現地に住んでる日本人は多いしで安心できます。
今はハワイに移民してきて4世、5世という日系人も非常に多い模様。起源は真珠湾の戦争みたいですけどね。
日系人
日系人(にっけいじん)とは、日本以外の国に移住し当該国の国籍または永住権を取得した日本人、およびその子孫のこと。現在約295万人存在すると推定されている[1]。いわゆるハーフなどの混血の人も含む。日系人のうち日本に居住する者を「在日日系人」、日本以外に居住する者を「海外日系人」と呼びわけることもある。在日日系人は約35万人存在する。
この日立の樹をはじめ、綺麗な海や自然のバカンスイメージが強いハワイですが

実は日本人として知っておかなければならない歴史もこの土地には多いということに気付かされました。
ハワイに来てるのはバカンスが主なのはそうなんでしょうが、あまりにもね。
あまりにも観光目的で浮かれた人が多い日本人観光客を見てると何か複雑な気分になります。
ここに自分たちのルーツの歴史がたくさん眠ってることも知らず…
これを知ってか
バスのガイドさんはほとんど日系人なんですが、観光に焦点を当ててあまりしゃべりません。
言うことには常に歴史が入ってます。

バスガイドさんの話
日本人は明治時代頃多数の人数がハワイに移民。そしてその後真珠湾戦争にて捕虜となった者もいたが、その日本人で編成された第442連隊jはアメリカ軍として日系人部隊が輝かしい活躍を見せた。 そして目覚しい勲功を貰った。特に危険な前線に赴いたのはこの日系人部隊である。
ある米国人将校をして
「今までに指揮したどんな100人よりも彼らのような
100人を部隊に持ちたい」
と報告させたほど。
しかしそれとは裏腹に、戦後のアメリカ白人の日系人への人種差別に基づく偏見は変わることがなかった。部隊の解散後、アメリカの故郷へ復員した兵士たちを待っていたのは「ジャップを許すな」「ジャップおことわり」といったアメリカ人たちの冷たい言葉だったようだ。激しい偏見によって復員兵たちは仕事につくこともできず、財産や家も失われたままの状態に置かれた。
だがそこから我らが先祖は頑張り、日系人の銀行を作り、政治家になり…今になってようやく私たち日系人はここハワイで通常の生活ができるに至った。これらはすべて1世、2世の先祖のおかげだ。われわれはその歴史を知っておき先祖に感謝する必要がある。
これを聞いて
私は感銘を受けましたね。
ハワイに移住している日本人の彼ら。自らの先祖に誇りを持っており、5世、6世となってもその歴史を語り継いでいる。
こういう話は大好きですね。
私も先祖が戦争で頑張ってくれたから今があると思ってますから。でも大学時代にね。こういう話をしても友達は誰も興味を示さないし、戦争はあ~だこ~だで駄目だとかそういう底辺の話ばっかで終始するのであまり話し合う機会はなかった。
その光景がダブったバスの光景。
日系人のバスガイドには3人ほど出会いました。
その3人が3人とも…彼らは必死に観光に来ている日本人に歴史、日系人の活躍を話すのです
が
ほとんどの日本人観光客は聞いてない。
戦争、真珠湾戦争って言葉が出ると
「あ~…また戦争か」「戦争とかしないし」「戦争?興味ないし^^」「戦争のこと言うなよ!!」「戦争?なにその野蛮劇」
って感じの顔をしてお菓子やお土産をバリバリ食ってる。まるで興味がない模様。
…
アホすぎるだろ。こいつら。

平和ボケしすぎ。
恥ずかしい。同じ人間として。
恥というものを知らないのだろうか。長らく「戦争=タブー」とされてきたことで、それが当たり前だと思いこんでいる。その非常識を他国で晒すことが恥さらしということにまったく気づいていないのには驚愕させられる。
「戦争=タブー」って何だ? 現実に世界のあちこちで起こってるわけだが。
ほとんどの国はそうじゃなく歴史から学ぼうとしているのに
こいつらは始めからタブーとして耳を傾けることもしない。
そして「君が代」も歌わない。
まあ新婚旅行に行っているのにこういうことで怒る自分も自分だが、先祖の歴史や日本人の部隊の頑張りなんかは評価してもいいんじゃないか?別に今戦争しようって言ってるわけじゃないのに。
歴史の教科書には載ってなかったろう?こんな事。
なんで感銘を受けないのか不思議でならない。なぜ黒歴史と決めつけ学ぼうとしないのか。
われらには誇るべき偉業をなしとげた祖先がいるのに
第442連隊戦闘団

第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍において日系アメリカ人のみで編成された部隊(ただし士官はその限りではない。また朝鮮系アメリカ人の少尉が一人だけいた)。ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。その激闘ぶりはのべ死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)という数字が雄弁に物語っている。さらにアメリカ合衆国の歴史上、もっとも多くの勲章を受けた部隊としても有名。
ハワイに永住している日本人、バスガイド、観光ガイドは
「今の礎を作った先祖は私たちの誇り。彼らの頑張りがあってこそ私たちの今がある」
と恥じらいもなくハッキリと私たちに言う。先祖は偉大だったと。
なかなか日本では聞けない言葉だ。
それはバスにいる人が同じ日本人だからこそ言ってる事でもあるだろうし
ハワイに来る日本人がそういう歴史をほとんど知らないから、
少しでも知ってもらおうと毎回言っているというのもあると思う。
これはね。こんなこと言うのは当然のことなんだろうけど
日本にいるとこういう言葉をほとんど聞くことはないし、歴史の授業でもハッキリと先生も先祖のことをどうこう言わずただの暗記科目みたいな感じになっていた事もあり
不思議と新鮮な感覚がするんだよね。
なぜか…。
第442連隊の功績
第442連隊は18143個の武勲章および9476個の名誉戦傷章を受章し、アメリカ軍史上最も多くの勲章を授与された部隊の栄誉に輝く。同時に累積戦死傷率314%を記録し、全米軍部隊中、最も損害を受けた部隊としても記憶されることとなる。

* 名誉勲章(議会栄誉章) 1(アメリカ軍における最高の栄誉。セラヴェッツァ近郊での戦いで数々の殊勲をあげ、1945年4月5日に友軍をまもるために、投げ込まれた手榴弾の上に自らの体を投げ出して戦死したサダオ・ムネモリ上等兵が受賞。第2次世界大戦における名誉勲章の授与数は464、そのうち殊勲十字賞から格上げされた20とあわせた21の名誉勲章が442連隊に与えられている)
* 陸軍殊勲十字章 52(このうちの20に関しては、2000年6月に再調査の上で名誉勲章に格上げされた)
* 銀星章 560
* 勲功章 22
* 陸軍軍人章 15
* 銅星章 4000
* 名誉戦傷章 9486
* 大統領部隊感状 7枚(トルーマン大統領が自らの手で連隊旗に、第442連隊としては7枚目となる「大統領部隊感状」を括り付けた。これは合衆国陸軍では初めての出来事。7枚という数字は合衆国陸軍の最多受賞部隊でもある)
格上げが多いのは、当時日本と戦争中のアメリカで日系人部隊を評価することにためらいがあったが、戦後そのしがらみがなくなり再評価されたためと、1960年代に公民権法が施行され、それまでの人種差別政策が是正されたためである。
しかし日系人部隊の輝かしい活躍と目覚しい勲功とは裏腹に、戦後のアメリカ白人の日系人への人種差別に基づく偏見は変わることがなかった。部隊の解散後、アメリカの故郷へ復員した兵士たちを待っていたのは「ジャップを許すな」「ジャップおことわり」といったアメリカ人たちの冷たい言葉であり、激しい偏見によって復員兵たちは仕事につくこともできず、財産や家も失われたままの状態に置かれた。
どうでしょう。
たまりません。
私は観光なんて一切興味のない人間だったんですが、こういう観光は大歓迎。歴史を交えた話を聞きながら当時の建物や跡地を見るのは最高だなとこの歳になって初めて感じましたね。
そして
やっぱ建物を見るだけの観光なんて何の意味もなかったんだな
って事も改めて再認識したね。やっぱ無意味だったんですよ。皆が言う旅行とかはさ。
まあしょうがないですけどね。日本の観光ガイドとかそんなこと全然言わないし、歴史と絡めた話はしないから楽しくなかったんですもの。
でもいいですよねえ。歴史を背景に持つ観光は。
特に
1945年4月5日に友軍をまもるために、投げ込まれた手榴弾の上に自らの体を投げ出して戦死したサダオ・ムネモリ上等兵が勲章をアメリカから貰ってます。
こんなこと言われたらテンションが上がらざるを得ない。うおお。凄げぇ!って思うよね。
でも周りを見ると景色見て観光ガイドの言ってる事を無視してる人が多い
まあ良い。まあ良いよ。こんな奴らもうどうでもいい。
だが我が嫁は違うぞよ。 我が嫁はこういう話をわかる女のはずだ。
私は隣に座ってる嫁に同意を求める。
財前「おいおい。自分の身を盾にして手榴弾から仲間を守るとか最高だよな。な?」
彼女「何が?」
財前「いや。何がって我らが先祖の日本兵がだな」
彼女「そんな事よりさ」
財前「む?」
…
…
彼女「日焼けしちゃった(*ノωノ) 」

財前「はぁ…?」
…
どうやら。
ここにも平和ボケが一人いたようだ。
以後スルーすることに。
しかし日系人となり5世代が移り変わっても、ハワイにいる日系人の方々が非常にうまく日本語を話すのには感心しきり。
2世からは実質ハワイで生まれ育つわけですから、英語だけでいいはずなんですけど、わざわざ日本語を勉強するようです。自分の先祖のルーツもあるということでね。
もちろん日本語覚えたほうが観光の仕事がしやすく就職しやすいってこともあるんでしょうけど勤勉ですよねえ。
日系人の今と昔
一世や二世の時代に第一言語として用いられた日本語も、世代が進むごとに徐々に現地語である英語にとって変わられ、自然な流れとして日本語を理解しない日系人が増えている。故に、家庭や居留国の日本語補習校などで日本語教育を受けた人物も少数ながらも存在はするものの、三世や四世の世代で日本語を話すことが出来る人々は主に外国語として日本語を学んだ人々である場合が多い。

近年はアメリカ人になろうとして努力し続けた二世~三世と違い、若年層に自らのルーツである日本にアイデンティティーを求める傾向が強くなり日本語学習者が以前より多くなってきている。
なお、1920年代前後に出生している二世の多くは、日本での教育費用が居留国のそれと比べて、安価であった事、または、日本文化を継承する目的で日本の学校に通う事がある種の流行になった時期があり、また、ネイティブの一世の親から直接日本語を習っていた場合がある為、戦時中や戦後直後に生まれた三世や四世と比べて日本語を理解出来る人口が比較的多い。
特に、北米、及び南米へ移民した日系人の中には、第二次世界大戦中に強制収容所への収容をされたり、戦後暫くも激しい民族差別を受ける立場にあった者が多かった。その為、居住国国民であり、居住国に忠誠を誓っている事を示す目的で、一世や二世である親がわざと日本語を教えなかったり、日本文化を継承させない環境で育った世代が存在する。それでもハワイ・オアフ島のワイキキ界隈や、ロサンゼルスのリトル・トーキョー、サンフランシスコのジャパンタウンなどの日本人街では今でも多くの日本語の看板を目にすることができる。

日系アメリカ人は当初から偏見と差別に苦しむことが多く、生活も苦しかったが、汗水流して働き、教育熱心で、よきアメリカ市民になろうと努力していた。特に一世の世代は過酷な労働をこなしながら、稼いだお金を自分たちのためには使わず、子供たちの教育のために注いだ。第二次世界大戦中における日系人の強制収容など人種差別をもとにしたいくつもの障害があったものの、このことがやがて世代が変わるごとに、ゆっくりとではあっても確実に、日系人がアメリカ社会での地位を向上させていくことにつながっていった。
また、日系アメリカ人がアメリカ社会の中に築いた日系人、すなわち日本に対する信頼が、第二次世界大戦後の高度経済成長期前後における日本企業のアメリカ市場への進出の際に、日本企業に対する信頼感の醸成に大きく役立つことになる。
はい。
ちなみにハワイ旅行に行った感想として
日本から飛行機で行った場合、ホノルルというハワイで言う一番の都市に降り立つわけですけど、ホノルルは観光バスに乗って歴史を知る以外にあまりお勧めできませんでした。
なにしろハワイの人口の75%以上がホノルルに住んでるので

都会すぎてかなり興ざめします。ビーチにも人が一杯だったし、海もそれほど綺麗じゃなかったという印象。やはり50年以上も中心観光地として君臨してきた影響は大きいようですね。
町を歩くと東京と同じく30歩歩けば客引きに出会う感じでかなり困る。
やられたのが「日本語勉強させてクダサ~イ詐欺」。
いきなり
外人「日本の事勉強させてクダサ~イ」 って近寄ってくる。そして後はうまいこと言われてね…
外人「富士山ハ何県にアルデスカ?」
財前「静岡県ですよ」
外人「OH シズオカ! シズオカは他に何が有名デスカ?」
財前「お茶とかかな」
外人「OH! オ茶!! スバラシイデスネ」
財前「まあね」
外人「オシエテクレテアリガトウ。お礼にコレドウゾ」
とステッカーを渡される
財前「サンキュー」
と受け取ると
外人「それ1000円にナリマ~ス」
財前「は?」
外人「それ買ってくれると恵まれない子供が助カリマ~ス」
財前「え?」
外人「ソレトモ孤児は餓死シロト言うのデスカ?」
財前「…」
外人「ホラ サッキノ人はコンナニ寄付シテクレタヨ」
財前「わかったよ…ほら」 千円渡す
外人「あと1000円クダサーイ。ソシタラ孤児喜ブネ」
財前「…」
という感じで何人もやってきます(笑)。2人目には引っかからないでしょうが、1人目は無理。1000円はまず取られてしまうでしょう。
ゲーム内のクレクレ君以上に酷い。
…
ということでね。
ハワイに行くならホノルルには観光で1日の滞在にしてね。あとは地図で言うとカイルア・コナって書いてある島、つまりハワイ島に行くのが吉だと感じました。

ハワイ島はホノルル(オアフ島)に比べると人口が少なく、非常にのんびりしています。たとえばハワイに行ってのんびり海やビーチでたそがれたい場合に向いてるような気がしました。
自然は多いし
チョコレートとクッキーのものすごくおいしい店(Big Island)はあるし
道をのんびり散歩しても客引きなんていないし
住民自体ものんびりしてて

羽根を伸ばすには最適なのです。
ホノルルにいたときには虫だのなんだのはまったく気にならなかったのに、ハワイ島にいたときは様々な発見があったからね。
ほらハワイの蜘蛛とか↑ 果物?とか

まあこれからハワイにこれから行こうって人は参考にしてみてください。
フライト時間は約7時間ですし、日本人の歴史は勉強できるし良いですよ。
まさか
本国である日本ではなく
ハワイで自らの先祖の活躍を知ることになろうとは
そして現地の日系人の方がこのような歴史に詳しいなんて

夢にも思いませんでした。
日系人の彼らも広島の原爆ドームに来ると
同じ気持ちを受けるみたいですけどね。そして同時にこんなことも思うようです。
なぜもっと日本人は広島の原爆ドームをアピールしないのか。サミット開催地にするなど色々手段はあるだろう
…
と。
なるほど…というよりも一歩国を外れると外からは「そういう風な目で日本を見てるんだな~」という感を覚えました。日系人と日本にいる人間の感覚って大分違いますね。ホント。
逆に興味が出てきます。
誰も本当の事は言わないとは思いますけど
ハワイにいる日系人は今の日本人を一体どう思ってるんだろうか?
って事に。本音を言うわけないけど、聞きたいなぁ。
…と今日は長文になりました。
まあ歴史も含めてね。皆さんにご紹介したかったなあと思って書いた次第であります。

そして
今週。時間の神殿が実装されるようなので書こうと思ったんですがそれだと長過ぎるので…また明日書こうかと思います。
こちらも結構長くなりそうですよ?。
日立の樹 (ハワイイ ホノルル 公園)
その他の海外記 http://ninehalt.blog4.fc2.com/blog-category-30.html
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