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2011(Mon) 01/31

最近流行の「子供に対する英才教育はピアノだけでいい」で育った男(68)

財前History … Comments(68)

 
 現在海外で特にメイプルの事も書くことがないので、ちょっと前回紹介したタケチトの記事読んでたら、懐かしいことを書いていたので、こちらをご紹介しながらピアノの事を書こうかと思いました。

 とある友人のネット挑戦とブログ開設をド真ん中から見守ってみた




 きっかけはこの記事ですね。


 音楽の恩師、たまこ先生~回想日記  (壱岐タケチト)    2011/01/16
 http://ikitaketito.blog134.fc2.com/blog-entry-83.html

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 まさかあの時作ったブログを彼がこんなに続かせる何て思いもよらなかったんですけど、彼の細かさというか真面目さはやはりブログ書くのに向いていたんでしょうね。

 今は色々自分で勉強しながらやってるようです。

 彼の書いたピアノのこの記事は私にとっても非常に懐かしいものでした。

 恐らくこれは6年以上もブログを書いているにも関わらず、書いてなかったと思うんですけど、実は私の母親はピアノの先生なんです。

 俗にいう個人の経営するピアノ教室って感じのものです。

 母は私が生まれる前から音楽大学に通っていて、私が産まれたのを機にピアノ教室を家で開き、生徒に教えていました。

 平日の16:00から19:00くらいまでの簡単な教室。1人1時間のレッスンですから1日に約3人。土曜日は昼から教室を開いて8人くらいに教えていたように記憶しています。

 発表会の人数が25人を超えていたので、生徒数は全部で30人くらいいたのではないでしょうか。

 こう書くと皆さんには聞こえが良いかもしれません。しかしその息子に当たる私にとってはまさに地獄の日々でした。

 なぜなら強制的にやらされたからです。


 …ピアノを。


 それも幼稚園入学前からです。

 
 知っての通り私は音楽を愛するとか、ピアノを弾いて教養を深めるとか…そういう類の人間ではなく、どちらかというと食用カエルに爆竹を仕込んで爆破させたり、「空爆投下!!」とか言って隣の家に瓦を投げ込んで楽しんだり(今思えば犯罪…)するタイプの子供でした。

 ピアノなんてものは女の子がやるもので、クソくらえでした。

 そんな当時の私がくだらないピアノ演奏の練習などを受け入れるはずもなく、当然ながら練習などまったくやりたくはない。しかし母は私をピアニストにしたいと思っていたようで、毎日2時間のピアノ練習を課せられていたのです。

 それも強制的に。

 嫌ではあったものの、親に逆らうという思考回路がなかった私はこの仕打ちに従わざるを得なかった。


 練習時間は夕食後の午後7:00~9:00。土曜日はその1.5倍の練習を日課とさせられました。


 これは当時の私にとって耐えられない屈辱でした。


 当たり前です。当時の子供の話題は「とんねるず」の仮面ノリダー。そしてアニメ北斗の拳、そしてもちろんドリフターズ。

 これが話題の中心。これを観てないと「いじめられる」…と言っても過言でないほどの人気番組。

 私は当然見られません。

 なぜならその時間帯はピアノの練習をしなきゃいけなかったから。


 当時のドリフターズの面白さと俺たちひょうきん族の面白さといったら想像を絶します。

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 もはや伝説となっていますけど、未だにこれを超えるお笑い番組は存在しないわけですから、子供がこれを見ないとかまずあり得ないわけです。

 録画するビデオも一応あったとは思うんですけど、未だに当時の事を歯がゆく思ってるって事は、私の家には多分なかったんだと思います。

 これが何歳の時かは忘れましたが…。

 でもまあこの時は親に刃向かう器量もなかったし、世間も知らなかったし、言いなりになるしかなかったからどうしようもないです。
 

 だから私には幼稚園から前の記憶がほとんどありません。

 夜はほぼピアノの練習しかしてなかったからです。もしかすると娯楽…というものに触れてなかったかもしれません。

 
 まさに籠の中の小鳥。世間からの情報を意図的に断ち切られピアノ演奏マシーンとして英才教育を施されたのが私…財前だったわけです。


 あなたはピアノだけを知ってればいいの。


 それが恐らく母の思惑だったのでしょう。

 母もこんな事はしたくないと思いつつも、自分のピアニストへの夢を諦めきれなかったのかもしれません。

  

 しかし…その思惑は…。

 私が幼稚園に行くことを機に徐々に歯車が狂いだします。


 幼稚園に行くという事。これは私にとっては最大の転機でした。なぜなら社会とはどういうモノなのかを知ったから。幼稚園にはこれまで自由に育ってきた子供たちがいました。
 
 幼稚園に入るまで…私はピアノをしてたか、一人で外で遊んでいたかのどちらかでした。家族以外の人とはほとんど関わらず暮らしてきたので、幼稚園に入った瞬間に面食らうのです。

 そもそも彼らが話していることが理解出来ない。


 彼らが常に発言する志村…とは誰なのか。

 志村うしろ~とは何なのか…。


 前述した北斗の拳なんかもそうです。
 
 当時は最高に人気のあったアニメですが、私はその存在を知らなかったからみんなが何を言っているのかチンプンカンプン。

 「昨日のケンシロウ観た?ア~タタタタタタ~wwww」
 「おお。見た見た。あのパンチ凄かったよねwww」
 「ピ~~リ~~~ あべし!!」

 わかるはずがありません。私はこれを聞いて、北斗の拳とは、何か…「北から来た強い拳法家か何かが強いのかな~?」みたいな感じを脳内でイメージしてました。

 もちろん実写でのイメージです。北斗の拳がアニメだったなんて知る由もない。

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 気になります。友達の間で話題になってる北斗の拳とは何ぞや?と気になる。

 もちろん気になっても家では見られません。

 夕食が終わる19:00にはピアノの部屋に移動させられ、鍵を掛けられていたからです。ゴールデンタイムで放送されていた北斗の拳は当然見えない。

 心もとない私は当時…

 みんなと同じ遊びができない事に泣きながら練習していたものでした。


 だから「志村」「志村うしろ~w」と言ったフレーズも実際にリアルタイムでテレビで見たことはありません。友達から全部教わったもので、志村っていうのが誰なのか、それが人なのかも私にはわかりませんでしたから。

 私がドリフターズを見れるようになった頃には既にドリフターズは終了し、カトちゃんケンちゃんごきげんTVになってましたし…。

 とんねるずについても同意です。母はとにかく「とんねるず」が嫌いで、教育に取ってこれほど悪いものはないような思考でした。だから頑なに見せてくれなかった。


 しかし…

 そこに救世主が現われます。

 今でも覚えています。家が墓屋をしている畑くんという大金持ちと、藻崎という悪ガキ。藻崎は背が高く喧嘩が強かったので皆からは藻崎くんと言われて恐れられていたガキ大将です。

 当時畑と藻崎は幼稚園を締めていたような存在で言わばボス格です。

 みんな必要以上に近づかず、何か言われればそれに従ってイジメを無理強要をされる…といった感じでした。

 藻崎の行うイタズラも相当なものですが、誰これ構わず暴力もかなり振るっていました。


 幼稚園ではみんな藻崎を避けていました。とにかく怖かったから。
 
 それに近づくとイジメの対象になるので、みんな藻崎からはできるだけ離れて遊んでいました。

 ですが私は例外でした。当時は閉じ込もってピアノしかしてなかったので、まったくの世間知らず。藻崎と畑がどんな危険な存在だったかの認知ができてなかったのです。ゆえにそれほど意識はしていませんでした。

 ある日幼稚園で音楽の時間になり、私がピアノを習ってることを知っていた音楽の先生は、私にピアノを演奏するよう指示しました。

 この場合「イヤだ」と答えるのが正解です。

 だって藻崎と畑が同じ教室にいたから。

 そんなピアノをうまく弾いたりしたら「おまえ目立ってんじゃねえぞ!」みたいな感じでイジメられるに決まってます。

 しかし私は世間知らずだったので、そんな事は露知らず、ピアノを演奏してしまうのです。しかも上手に…。

 みんなから拍手をされたのは記憶にあります。特に女子からその反響は大きかったと思います。


 それに幼い頃から毎日2時間も練習してるのだから下手なわけがありません。
 


 でも案の定、それ以降、畑と藻崎の悪ガキコンビに完璧に目を付けられることとなりました。


 「おまえ男なのにピアノなんてキショー(気色悪い)。女だろww」
 「お前のことはこれから女って呼ぶわww みんなもそうしろよ~」


 とかそんな事になった気がします。まあ幼稚園ではよくあるイジメではないでしょうか。それからの記憶はあまりないのですが、結構長期間色々されたように記憶してます。

 蹴られたり、水をかけられたりって事は日常茶飯事でした。

 藻崎とは疎遠だった私もそれ以降マークされるようになりました。

 もっとも藻崎にイジメられていたのは私だけではなく、他大勢でしたが…。

 でも不思議と必要以上な暴力は振るわれませんでした。他の子には藻崎や畑はもっとキツイ蹴りやイジメをしていたように記憶してましたが、私にはある一定以上の暴力はふるわなかった。

 これは今考えるに、恐らく私の体が大きかったからだと思います。

 今でだいたい身長が185cmくらいあるんですけど、幼稚園の頃から結構大きかったらしいですから。


 その後も順調に成長して、いつしか…幼稚園で一番大きくて強かった藻崎と同じくらいの身長になっていたような気がします。確か…背並びとかすると一番後ろだったので。(当時は背の高い順に隊列を組んだりしていた)


 それが理由かどうかはわかりませんが、ある日に転機が訪れました。

 それまで暴力やイジメしかしてこなかった藻崎と畑が私を家に呼んだのです。

 呼ばれたのは墓屋でお金持ちだった畑の家。


 思えばここが私の人生の転機です。

 ここで藻崎が私を畑の家に呼ばなかったら…。もしかしたら私は…生真面目でピアノ一筋な人生を歩んだかもしれません(笑)。


 それほどの衝撃でした。


 藻崎と一緒に畑の家に行って私が初めて目にした物。







 それが…

























 ファミリーコンピューターでした。

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 この時の衝撃は今の私を知ってる人は敢えて言わなくてもわかると思います。

 まさに「水を得た魚のよう」という言葉がピッタリです。

 それまで手で奏でるものというのはピアノしかなかったわけで、こんなにツマラナイものはありません。しかしファミコンという指で操作するゲームは恐ろしく面白かった。

 ピアノとは次元が違う面白さ。


 それがファミリーコンピューターでした。


 何しろこっちは自分の手の動きに合わせて画面のキャラも動くし、音も出る。生まれてはじめてファミコンというゲームを見た私が受けたショックはハルマゲドン以上の衝撃でした。


 藻崎と畑はファミリーコンピュータの楽しみ方を私に教えてくれました。

 私はピアノをしてましたから、指先はその年代の幼稚園児に比べると圧倒的に器用です。すぐにゲーム上の自キャラを思い通りに動かすことができました。

 それからは悪の道に一直線です…。

 気づけば夕食の時間はとうに過ぎていました。
 
 藻崎と畑は悪ガキです。しかも畑の家は墓屋とかいう怪しい商売の親でしたからヤクザ…みたいなものだったのかもしれません。遅くなっても畑の家には誰も怒る人がいません。

 藻崎の家には行ったことがないからわかりませんが、当時の喧嘩っぷりを見ると、こいつの両親も恐らくまともな親ではなかったでしょう(笑)


 こうなると怒るのは私の母です。


 そりゃあそうです。それまでは幼稚園が終わったらまっすぐ帰ってきて、夕食を食べてピアノの練習部屋に監禁されてた小鳥のような私が、突然夜になっても家に帰って来なくなったのですから。

 当然私の母は恐らく必死に私を探したことでしょう。


 夜になったことを気付かなかった私も悪いですが、辺りが暗くなることも忘れるほどファミリーコンピュータは楽しかったのです。

 その後の藻崎が帰る時になって…。辺りが真っ暗な事に気づき自分もヤバいことに気づいたくらいです。

 ここからどう帰ったのかは記憶にないのですが、恐らく畑の親が私の家に連絡をして迎えに来てもらったのだと思います。


 でもこの日は…そりゃあ地球がひっくり帰るくらいの癇癪で母に怒らえた記憶があります。

 もちろん。それまで真面目な幼稚園児だった私が、普通の幼稚園児では考えられない事をしたのだから理解できます。

 当然親父にもこっぴどく怒られました。


 でも私はこの日を堺に昨日までの財前ではなくなっていました。


 そう。ファミリーコンピュータを知ったのです。

 そして…悪ガキの藻崎と畑と深く親密な仲になっていったからです。


 それ以降私は藻崎と畑と幼稚園内でも行動を共にするようになりました。こちらも衝撃でした。彼らのすることは籠の中の世間知らずの私からすると信じられない事ばかりだったからです。

 不良は頭が悪いわけではありません。

 知能が発達してるからこそ皆から恐がられているのです。

 それだけ色々な経験をしてるし、色々なアイデアを持っています。


 女子の下着や運動着を盗むとか当たり前。凄い幼稚園児です。それを匂わしてくれたり、女子に鉄棒で逆上がりする事を強要し、回ったところで体を手で止めて女子の股間に顔をうずめるとか、藻崎は今思うと信じられない行動ばかりしてました。

 それに誰かが何か珍しい玩具やカードを持ってきたらすべて藻崎のモノになってましたし、人の弁当におしっこかけたりもしてましたね…彼は。

 私もそういうのにつきあうのは嫌でしたが、藻崎は既に友達でしたし、こちらから藻崎と離れるわけにも行かず畑はファミコンを持ってるので離れられなかった。

 藻崎は畑の家ではファミコンやってるだけなのでかわいらしいのですが、幼稚園内ではボスですからね…。

 
 藻崎は頭にパーマもかかってたし、当時は恐ろしいほどマセた男だったのです(今思うと天然パーマかも)


 一緒に行動するようになったのだから否が応にもそういうのを見てしまいます。

 鉄棒に登ってそこでしばらく上下移動してるとなぜか絶頂して気持ちよくなるとか、徒競走の時に砂を握りしめて、周りにふり撒くとみんな目が見えなくなって1位が取れるとか教えてくれたのも彼です。

 そんな彼と一緒にいた私。


 そうすると私にも少しづつ知恵が付いてきます。

 徐々に私は藻崎の影響を受けてきます。


 
 それまでピアノの練習は嫌でしたが、それに反抗するという思考回路がなかった私…

 しかしついに…それに反抗するという知恵がついてきた。



 ピアノは嫌だ。でも母が怖いから練習する。

 ↓

 ピアノは嫌だ。じゃあ練習しなきゃいい。


 
 この思考回路に到達。今思うと簡単な思考ですが、幼い頃から教育を施された幼稚園児がこの思考回路に到達するのは並大抵の事ではありません。これは藻崎や畑と遊んでないと到達できなかった領域かもしれません。


 私の思考はこうでした。


 ピアノを練習する時間を0にして、ファミコンとテレビを観る時間に当てたい。



 まさに欲望しかないわけですが(笑)、幼稚園児には当たり前のことです。それに他の多くの幼稚園児はこういう事を普通にさせてもらってたわけですから、これが通常の幼稚園児なのです。

 どちらかというと毎日2時間もピアノを練習させられる私の方が異常なのです。
 


 しかし母はファミコンなどというものにまったく理解を示しませんでした。

 「欲しいなら自分で買いなさい」
 「ファミコンゲームなんてやると頭が悪くなるからダメ」
 「ゲームをすると悪い人間に成る」

 とか訳のわからない事を繰り返すだけ。当時私は小遣いなど貰ってなかったですから、無理なことをわかってて母はこのような事を言ったのです。

 父はさらに最悪でした。

 当時父はPC98シリーズというパソコンを持っていて、それでハイドライドスペシャルのようなゲームをプレイしてました。これはもちろん当時の私は知りませんでした。今思い返してみると「そうだったな~」という記憶があるだけです。

 しかし母の矛先が自分に向くのを恐れた親父はあろうことか息子に対して

 
 「ファミコンは俺がTVを見れなくなるから駄目だ」


 とかいう信じられない理由でファミコン購入を拒否します。そうなんです。ファミコンはTVに繋ぐので、基本的にTVが見れなくなります。今のように便利な切り替えスイッチもないですし、家にテレビは1台しかなかったので、それを占領されるのを親父は恐れたわけです。

 今思うと無茶苦茶考え方が幼稚です…。

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 当時私は母よりも親父が大嫌いでした。とにかく意味不明な男にしか映らなくて…。帰ってきたらTVばかり見ているのがとにかく嫌いでした…というより羨ましかったし、突然顔をひっぱたかれたりもしたし、何か得体の知れない様なところがあって怖かった。

 逆らえない。
  

 しょうがないので私は畑の家に行ってまたファミコンをする事になりました。

 藻崎も同様です。

 今思うと藻崎が畑の家に入り浸っていたのは藻崎の家もファミコンには理解がなかったからなんでしょう。


 いつしか夕食前に母が私を畑の家まで迎えに来るのが日課になりました。

 もちろんこれはダメな行為です。基本的に幼稚園児がまっすぐに家に帰らないのは許されていません。基本的にはみんなと一緒にバスで帰るか、親が迎えに来るわけで、友達の家に寄って帰るとか通常あり得ない。

 でも私は幼稚園の送迎バスは畑と藻崎と共に途中下車して畑の家でお世話になってました。

 
 母が泣きじゃくっていた日もあったと記憶しています。 


 母はピアノ教室をしているので16:00前から生徒が来ます。つまり私を迎えに行くことはできないため、私が畑の家に行くことを止めることはできなかったのです。

 迎えに来れるのはレッスンの終わった後ですから夕食前。

 それまでの間のみ私はファミコンを堪能することができました。もちろん帰れば地獄のピアノ練習が待っているわけですが…


 でもこんな日は長くは続きませんでした。

 親父がキレて私を農納屋に閉じ込め(農家で言う米倉みたいな所)、

 「言う事を聞かなかったらそこで飢え死にするまでいるがいい」

 的な…おしおきをしたのです。

 当時の私にとってこれは堪えました。納屋は無茶苦茶寒いし、その辺を怪しい虫がウロウロしてるし、何より真っ暗。恐怖で狂いそうになります。

 何しろそれまでは世間知らずでしたし、良い子で来てましたし、親に本格的に怒られることなどなかったので、こちらも泣いて非行を詫びたのでした。

 それでも親はファミコンは買ってくれませんでした。


 そしてそれ以降、畑の家に行けなくなった私。


 相変わらず19:00~21;00までのピアノ練習は継続。


 まさに狂喜乱舞でした。

 ファミコンを買ってくれるにはどうすればいいのか。考えに考えましたが良いアイデアは浮かびませんでした。


 ファミコンを親が買ってくれる夢を30回は見ました。

 夢で買ってもらってテンションMAXでガバッ!!と起きる。でも起きて買ってもらったファミコンが手元にない。夢だと気づく…。この時の喪失感といったらありませんでした。

 
 それからしばらくして幼稚園は終わりました。


 小学生に進学すればファミコンを買ってくれる?と期待しましたが

 母の対応は相変わらず一緒でした。


 しかし私が小学生に上がると共にこの問題は徐々に解決する事になりました。


 小学生になったから親がファミコンを買ってくれたわけではありません。


 もちろんピアノの練習が緩くなったわけでもありません。


 変わったのは私です。

 小学生になると知恵がつきます。私はある方法でピアノの練習をサボり、ファミコン、そしてTVを見ることを解決したのです。

 まず第一のきっかけが粗大ゴミでした。

 ファミコンをするにはTVが必要なのですが、小学生がTVを買うことは不可能です。しかし小学校から帰る道にTVがそこら中に捨てられてることに気づきました。

 当時は今と違ってゴミはTVやタンスなど、なんでもゴミ捨て場に捨てて良かった時代でした。つまりTVなどがそこに普通に捨てられていたわけです。

 私はそこに捨てられていたTVを持ち帰りました。

 でもそのままもって帰ってしまうと親にバレるので、秘密基地である広場にテレビをまず一旦保管し、親の寝静まった朝の4:00くらいに起きて、秘密基地まで行き、そこにあるTVを担いで自分の部屋まで運びました。

 それを押入れの中に押しこんで古い布団で隠し、設置が完了。

 でもアンテナ線が部屋に用意されてないのでTVは映りませんでした。でもTVは映らなくてもファミコンはプレイする事が可能です。次にファミコンを如何にして手に入れるか。

 こちらに知恵を絞ることになります。

 一番簡単なのは親の財布から金を盗んでファミコンを買いに行くことでした。

 「1000円札が何枚も入ってる時に抜けばバレない」という藻崎から教えて貰った必勝法を使えば楽勝でした。

 しかし…お金は簡単でしたがファミコンを買いに行くのが難関です。小学生の私にとってこれは非常に難しいことでした。とにかくTVゲーム屋が家から遠く、自分では行けなかったのです。理由は小学校時代には校区外というものが設定されている事。学校の規則では家から半径2キロ以上の場所に一人で出たらいけないことになっていた。

 これが見つかると学校から処分されます。

 実は校区外を出る子は多く、結構な人数が処分されていました。

 なぜなら知り合いの親とかの目も光っているので、見つかってしまうわけです。

 ゆえに家から2キロ校区外にあるテレビゲーム屋に行くのはあまりに無謀でした。たとえ行けたとしてもファミコンの箱を持ったまま家に帰るのは目立つし、その帰り道に先生や近所の親なんかに見つかって補導されたらファミコンを買ったことを親にバレてしまう。

 これでは全てが水の泡です。

 さあどうするか…。

 思案に暮れましたが、小学生の経済力と知識ではどうすることもできないと悟り、結局押入れにTVを持ってきただけで終わったのでした。

 結局私がファミコンを手に入れることになるのは何年も先の話になります…。


 その間もピアノに性を出すのですが、ひとつの成果をだします。

 当時やっていたのはブルフミューラーとかいう訳のわからないピアノ誌で結構難しい曲だった。とにかく1曲をマスターするのにそれはもう時間がかかったものですが、逆にこれは利用できます。

 ここで、ある事を思いつきます。

 練習しているときは私は監禁されているわけですが、同時に母はその部屋にいません。

 母は別部屋で洗い物をしてる。


 つまり私の練習している姿は見えないわけです。


 この時にある考えが浮かびました。


 つまりですね。ひとつの曲を完成させてしまえば、あとは練習は誤魔化せると考えついたのです。

 計画はこうです。

 まず1曲を完成させてそれを一通り弾いてラジカセに録音します。それを10パターン録音。練習の時間になったらラジカセを再生してそれを部屋で流すわけです。

 そうすればTVが見えます。

 ピアノの部屋の鍵の隠し場所はわかっていました。ひとつは母が持っているのですが、スペアキーが机に入っていたわけです。でも私では開けられないので、妹にそれを持たして鍵を開けてもらう。その間テープが再生されているので母にはバレない。

 そして私はこっそりと部屋を出て、カトちゃんケンちゃんごきげんテレビを見るのです。

 この作戦は意外にうまいこと行きました。

 19:00にテープを再生してアニメを見る。アニメが終わったらピアノの部屋に戻り、巻き戻し。またテープを再生させてカトちゃんケンちゃんごきげんテレビを見る。終わったら部屋に戻り、母が21:00に鍵を開けに来るのを待つ。

 これで私はTVを見る時間を手にいれたわけです。

 意外や意外、毎回同じテープを使わず、違うパターンを録音してそれを流すという作戦で半年近くバレませんでした。

 もちろんバレたときは大目玉を食らいましたが、別段問題ありません。


 その次の日からもまたテープ再生作戦を行って、またバレたら怒られれば良いだけです。


 年齢的に成長し、精神的にも成長し、もはや母の怒りなどは私にとってなんて事のないイベントになってました。母の手に負えない場合は親父がまた私を納屋に閉じ込めるわけですが、これもノープロブレム。

 納屋に閉じ込められても納屋の2回の窓から脱出できるので、すぐにそこから脱出し、自分の部屋に戻っておくのです。

 親父の場合はその後に風呂に入って、出た時に私を出しに来るというパターンでしたから、親父が風呂から出た時点で急いでまた納屋に戻ればOK。その後は泣いたふりをしてればノープロブレムでした。

 基本的に親は幼い子供がそんな事をするなんて思ってもいないので何の疑いもなく出してくれます。


 子供というのは親の知らない間に成長するものなのですね。クックック…


 これで私にとって足りないのは押入れにあるTVにつなぐファミコンだけとなってました。


 しかし相変わらず、校区外を抜けてファミコンを安全に買いに行くアイデアは出ませんでしたが、ここで転機が訪れます。

 なんと親戚の子供が高校受験になり、「ファミコン」をすると勉強ができないというので私に譲ってくれるという話が来たのです。

 親戚は私がファミコンを欲しくてたまらない事を知っていたのでこの話が来たのでした。

 もちろん私の母はファミコンが家に来ることに反対しましたが、親戚の親が母をある程度説得することで母も折れました

 …が

 その内容が頂けない。なんと頑なに拒否する母を説得した親戚の両親の言葉が

 「1日30分に制限すれば特に問題ないよ」

 という内容だったのです。「母も30分くらいなら問題ないわね」という認識でした。

 ゲームできる時間が30分!? こちらからするととんでもない話です。ファミコンをプレイする時間が30分とか笑わせます。ちゃんちゃらおかしい。

 そんな条件付きでファミコンが家に来ると困ると逆に困ります。ゆえにその場では私は「ファミコンはいらない」と答えました。

 親戚一同、母も含め驚きの顔をしましたが、ちゃんとこちらは考えあってのことです。


 親戚の兄は中学生です。つまり校区外などありません。自由に自転車で走ることが出来る。

 つまり…持ってきてもらえばいいのです。こっそり。ファミコンを。私の家まで。

 そして親戚の兄にはファミコンを捨てたという事にしてもらえばいい。

 そうすれば30分どころか何時間でもファミコンがプレイ可能です。



 親戚の兄にそう伝えるとこの作戦を了承してくれました。


 これにより私は快適なファミコンライフを得ることができます。

 それもそのはず。母は家にファミコンなどないと思ってるわけですから、ゲームする時間に制限などありません。無制限です。完璧です。

 ピアノはテープが勝手に演奏してくれますから、私のピアノ練習を聞きたいだけの母にも迷惑をかけない。


 私はファミコンができて幸せ。
 母は私のピアノが洗い物しながら聞けて幸せ。
 
 
 誰も不幸にならない最良のシナリオでした。

 この夢のような生活はたったの数カ月間だったと記憶してますが、最高でした。


 …

 しかしこの作戦は意外なところで綻びを見せます。数カ月間はうまく行ったのですが、なんと妹が勝手にファミコンを遊んでいたところを親父に見つかってしまい… あろうことかファミコンを取り上げられてしまったのです。

 これは大きな誤算でした。

 自分はみつからないように細心の注意を払ってファミコン、そして押入れのTVを守っていたのに、妹にはそれがありません。

 妹にはファミコンへの思い入れもないし、それまでの激闘の歴史もない。

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 ただファミコンを遊んだだけ。親にバレても大した事だとは思ってないわけです。取り上げられても「まあいいか」程度の認識です。

 所詮女などそんなものです。


 これに怒り心頭だったのは私です。だってドラクエ3…まだ終わってなかったんです…。

 男たるものドラクエ3を途中で放棄することなどできるはずもない。

 すぐに親父がファミコンを隠した場所を探し当てて、またファミコン生活に戻ろう。

 …そう考えましたが…。

 その思いは辛くも崩れ落ちました。


 なんと親父がファミコンを自分の寝室につけてドラクエ3を遊ぶようになってしまったのです。

 人が粗大ごみから取ってきたTVを取り上げた上にファミコンまで奪い、あろうことか人のセーブデータを消してドラクエ3を遊ぶとか父親としてあるまじき行為です。

 無茶苦茶な野郎です。

 糞です。


 あの消されたセーブデータ…。そを見た時に小学生だった私。その心の傷は未だに大きく残っています。

 しかもピアノ演奏がテープでしてることもバレてましたから、母親も30分に1度はピアノの練習を覗きに来るようになってしまい、TV鑑賞時間も同時に失ってしまった。

 もう諦めるしかない…

 もうどうしようもない…。
 

 そう思った私にまたひとつの転機が訪れます。


 そうです。壱岐です。壱岐タケチトです。

 コイツは今でこそ親友ですが、当時は私の家にピアノを習いに来てるダサい奴って感じで認識していました。私は当時彼とは友達でもなんでもありませんでした。

 私は嫌々ピアノをしてましたけど、彼は男なのにピアノをわざわざ習いに来てるわけです。

 お金を払って。


 この時点で分かり合えないバカヤロウでした。

 それに彼は当時から非常にピアノが下手だったのは記憶にあります。

 一応家がピアノ教室ですので、生徒が弾いてるピアノの音色は勉強部屋まで聞こえてくるんですよね。それに私は小さい頃からピアノしてますから弾いてる人がうまいかどうかなんていうのはすぐに判断がつく。

 それはもう酷かったです。

 私が幼稚園で弾いてた曲を彼は未だに弾いてましたから。

 
 おいおい。おまえそんな曲まだ弾いてるのかよ… みたいな感じで思ってました。


 そしてピアノの発表会。

 これは年に1度行われているものです。生徒が一同に集まって演奏の披露会をするんですね。親とかももちろん来ます。タケチトなどは緊張して弾いてましたが、私にとってピアノの発表会などというものはどうでも良い存在でした。

 私に取ってのピアノ発表会とはピアノを演奏して拍手をもらう場所ではなく、

 そこに来てたおじいちゃんおばあちゃんの前で良い演奏をして感動させ

 小遣いを貰うためのツールでした。

 うまくピアノを演奏しておじいちゃんとおばあちゃんの元に行き、目を輝かせれば1万円くらいくれたのでチョロイもんでした。

 もちろん母には内緒で貰うのは言うまでもありません。

 貰ったお金がバレルと「あなたの将来のために貯金しておいてあげるわ」なんて訳のわからない理由でお金を取られますから、絶対に親に言うことはない。



 でもそこで…私は驚くべきものを目にします。

 壱岐です。壱岐タケチトです。

 彼は発表会の待ち時間にある物を楽しんでいました。

 奴が持っていたのはゲームボーイでした。自慢気にSAGAなんかを見せてきます。私は恥ずかしながらゲームボーイなんて眼中になく、ファミコンしか見えてなかったのですが、これがこれで面白そうなのです。

 しかもこれ…TVを使わない携帯ゲームです。


 つまり親にバレ様がありません。

 もちろんファミコンの方が良いのですけど…

 ゲームを許してくれない我が家の家庭環境を考えると最高のハード機でした。

 これは買うしかない。


 おじいちゃんおばあちゃんから貰ったお金と、親の財布の金を盗んで資金を用意し

 
 次の日に即効でゲームボーイを買いに行きました。

 もちろん校則を破って校区外のゲーム屋にです。

 ファミコンと違ってまったく問題がありません。ゲームボーイの箱は小さいし、本体はポケットサイズなのでもし校区外にいることがバレてもノープロブレムだったからです。

 まあバレることは考えられません。ポケットに入れられるので田んぼの畔道などを帰れば車で移動してる近所の人に見つかることもないし、先生も発見は不可能でしたから。
 
 要は店でゲームボーイを買って箱をその辺に捨ててゲームボーイをポケットに入れる。そして川際の田圃道を通って家まで帰る。

 これでOKでした。

 幸い誰に見つかるわけでもなく、何の問題もなく帰って来れました。

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 それからの私はピアノとの付き合い方もかわりました。

 相変わらずラジカセにテープを入れて再生させるのですが、以前とは違いピアノの部屋にいながらゲームができるので母親が来たら足でラジカセを停止してゲームボーイを置き、続きをピアノを実際に弾けばいいのです。

 一応曲を途中からいきなり演奏するのは結構難しかったりするんですけど、やってるうちに慣れてきて、どこからでも演奏できるという変なスキルがついたりもしましたね(笑)

 ちなみに母はゲームボーイみたいなゲームがあるなんて事はまったく知らないのでバレようがありません。

 電源切って背面向けておいておけば絶対にバレないわけです。

 

 恐らくピアノの分岐はこの辺からでしょうか。

 記憶ではこの辺から私はピアノをまともに弾いた記憶がありません。さらに精神的に成長してきますから、ピアノを弾くのなんてバカバカしくなってきて母にも


 もう手で弾くとか古い。俺は足でピアノを弾く男になる


 とか言って足でピアノを弾いたりしてました(笑)。さらに精神的にも成熟してきているので親父にも文句が言えるようになり、

 「親父はいい年こいてあの時ドラクエ3を僕から取り上げて自分でプレイしてたよな。返さないと親戚一同にこの失態を言いふらす」

 とかいう訳のわからない言葉でTVとファミコンの奪取にも成功。

 その後にも母にも何度となく怒られましたが、


 「ピアノで飯が食えるとは思えない」


 と言ってそれ以後ピアノを手で弾くことはなく、足でしか弾かなかったので、とうとう母も諦めて中学生くらいでピアノは完全に辞めたと思います。

 今もまあ弾こうと思えば弾けるのかもしれませんが、過去のトラウマが酷すぎてピアノの鍵盤を触る気にもなりません。

 でもタケチトとは未だにピアノを続けています。

 まあ下手なのは変わりませんが、彼の真面目さには感服です。




 ピアノの英才教育を受けた私がいつしかピアノを足で弾くようになり

 ピアノを惰力で続けていたタケチトはいつしかピアノを自分の特技に変えた



 人生とは皮肉なものですねえ。

 でも「ほんまでっかTV」に出演してる先生なんかがよく言うんですけど、幼少の頃の子供の知能発達にはピアノが一番良いみたいですね。スポーツにも勉強にも…。そしてむしろピアノだけやるのが良いのだとか。

 今ピアノがまた見直されてきてるみたいです。


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 脳科学者はかく稽ふ  澤口俊之
 http://toshi-sawaguchi.life.coocan.jp/
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 なるほどという部分は確かにあります。

 当時の自分は嫌だったのですが、今こうやってデータ的に証明されたりすると…あの頃のピアノも否定出来ない部分もありますね…。でも私のは習い事というよりも監禁でしたらね。

 母が鬼気迫る鬼に見えました。

 …が

 結局今となれば母に感謝することになってしまうのかもしれませんが。



 なんだかんだでだから息子が産まれたら結局ピアノの稽古を母にまた頼む予定です。

 そうなるとまた息子は反発するんでしょうが。

 
 そしてその頃も私はXBOXやメイプルストーリをしてたりするんでしょうね。



 って事は私からドラクエ3取り上げて熱中しちゃった、あの頃のバカおやじと同レベルって事になるわけです。


 いや…むしろそれ以下か。


 いや。以下はないと思う。




 
 でも後数年後で子供を作る予定なので、どう考えてもゲームはやめてないし性格もそんなに今と変わるはずがない。


 …

 血は争えないなあ(笑)















 …というわけで当時のことを思い出しながら適当に書き綴ってみました。


 また機会があれば書いてみます。





 
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私は旅行恋愛の事を綴る詩人。壱岐タケチトです。
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音楽の恩師、たまこ先生~回想


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